機械では⽣まれない美しさ
機械がすべてを速く、
均⼀に、正確に仕上げてくれる時代。
けれど私たちは、「完璧」だけでは
満たされないことにどこかで気づいています。
少し歪んだ縫い⽬、
⼿の圧でゆらぐ染めの濃淡、
⼈の⼿からしか⽣まれない、
あたたかく、静かな余⽩。
そこには、機械には決して宿らない、
呼吸のような時間が流れています。
ガンディはかつて、こう⾔いました。
「機械に依存し、
欲望を次々とかきたてられる社会では、
⼈は物欲の奴隷になる。
⼿⾜を使うことにこそ真の幸せがあり、
そこにこそ健康があるのです。」
fumika は、その⾔葉に深く共感しています。
誰かの⼿が⽷を撚り、
誰かの⼿が布を織り、
誰かの⼿が針を通し、
そうして⼀枚の服が⽣まれる。
⾝体を通して何かをつくるという⾏為は、
⼈間の根源的な“⽣きている”
という実感を取り戻す営みなのです。
fumika では、かつて着物として
存在していた布を⽤いて、
あらためて⼀着の服を仕⽴てています。
その布には、もともとの持ち主の記憶、
染められた草⽊の気配、
織られた⼟地の空気が、
静かに縫いこまれています。
そして fumika の職⼈たちが、
また⼀針、⼀針と新しい時間を重ねていく。
それは、ただの縫製ではなく、
⼿から⼿へ、
時代から時代へとバトンを渡す⾏為。
今、世の中は速さと量を求めています。
「便利で、早くて、安くて、整っているもの」
が賞賛され、少しのゆらぎや不完全さは、
“⽋点”とされることさえある。
けれど私たちは信じています。
ゆらぎの中にこそ、⼈間らしさが宿っていることを。
⼿仕事とは、思想であり、祈りであり、
⽇々の鍛錬です。
fumika の服には、完璧さはないかもしれません。
でも、⽣きた⼿の跡と、物語の余⽩が、
きっとそっと残されています。
纏う⼈の中にある静けさと共鳴するように、
fumika は、これからも⼿でつくることを
⼤切にしていきたいと思います。
機械では測れない、美しさのために。
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