⾃然とともにあるという思想
環境問題は、もはや「どこか遠くの話」
ではありません。
⼲上がる川、変わってしまった季節、
増え続ける廃棄物。
そのすべてが、
⾃分の⼤切な誰か
を脅かす時代に⼊っています。
私たちはようやく、「何もしないこと」の
深刻さに気づきはじめました。
⾃然を「守る」という傲慢さ
「⾃然を守ろう」
よく⽿にする⾔葉ですが、
どこか違和感が残ります。
⾃然は、私たちが「守る」ような
⼩さなものではありません。
森は、私たちよりも⻑く、
静かに、深く、世界に存在してきた。
海や空は、私たちの想像を超えて広く、
強く、しなやかに巡っている。
私たちができることは、
ただ “その循環の⼀部になること”
「守る」のではなく、「還る」ために、
⽣きるという感覚に、fumika は⽴っています。
⼤宇宙と、⼩さなわたし
⼈間は、⾃然よりも⼩さい存在です。
けれど、⼩さいからこそ、
憧れることができる。
⾃分より⼤きいものに、
美しさや尊さを感じることができる。
染織家・志村ふくみさんは
こう⾔いました。
「⾃然というのは⼀番⼤いなる⽣命体。
だからこそ、それに憧れて、
⾃分は⼩さい、微⼩宇宙だけど、
⼤宇宙の⽣命体と⼀緒になりたいと
常に思って仕事をしていく。
そうして死ねば、それが霊魂の不滅だと思う。」
〈写真・志村さんふくみさんの本〉
fumika の服づくりにも、
同じ願いがあります。
⼩さな布に、⾃然の気配を宿し、
⼿を動かすことで、
⾃然の⼀部に触れているような時間を紡いでいく。
〈写真・ぼかし染の紬ドレス〉
fumika で使う布の多くは、
もともと着物として
誰かの暮らしを彩っていたもの。
〈写真・お客様に頂いた着物たち〉
それらは草⽊で染められ、
蚕の命から紡がれた⽷からできており、
⾃然の恵みそのものといっていい存在です。
〈写真・大島紬のアンサンブル〉
だからこそ、廃棄ではなく再⽣へ。
⼀度役⽬を終えたものに、
もう⼀度命を吹き込むという選択は、
⾃然の「循環」にそっと寄り添うための、
fumika なりの祈りです。
〈写真・熊本、阿蘇にて〉
服を選ぶという⾏為は、
⼩さな⽇常のことのようでいて、
「どんな未来に加担するか」を
選んでいるということでもあります。
⾃然からいただいたものを、
必要なぶんだけ、⼤切に使う。
ものの背景を知り、気配を感じ、まとう。
fumika が⽬指すのは、
そんな“循環のまなざし”を持つ装いです。
〈写真・訪問着のリメイクワンピース〉
⾃然を守るのではなく、
⾃然とともに在る⼈として、
どう死ねるか
どう還っていけるか。
その問いに、静かに応えるような服を、
これからもつくっていきたいと思います。
〈写真・東京・浜離宮恩賜公園にて〉
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