⼤量⽣産の時代に考える。
私たちの経済活動が、
地球に与えてきた影響は計り知れません。
とくにアパレル産業は、その⼤きな⼀因です。
季節ごとに⼤量に⽣み出され、
⼤量に廃棄される⾐服。
その背景で失われているものを、
私たちはどれだけ知っているでしょうか。
いまの社会では、働く⼈々はときに、
「機械の付属品」のように扱われています。
⼀枚の服をつくるために、
本来は尊いはずの知や技や誇りを奪われ、
ただ効率だけが価値の尺度になっていく。
誰かの健康や寿命、
⼼のありように⽬を向けることなく、
「より速く、より多く」を求める経済。
それは、労働者が⽣産の主体であることを否定し、
⼈間を「⽬的のための⼿段」に
変えてしまう暴⼒にほかなりません。
⼈間は、尊厳をもつ存在です。
誰もが、ただ「使い捨てられる部品」
ではありません。
⾃然も同じです。
私たちは⼤地の所有者ではありません。
〈写真・熊本・阿蘇の湖〉
あくまで「⼟地の同居者」として、
ともに在る存在です。
⾃然は、⼈間よりも⾼貴で、
精神的で、物理的です。
無責任な搾取や汚染は、
将来の世代への深刻な「犯罪」であり、
それはいつか、必ず私たち⾃⾝に還ってくる。
よりよい形で⼤地を次の世代に⼿渡すこと。
それが、いま私たちに課せられた責任です。
⼤量⽣産のスピードの中で、
⼈が抱く愛着や思い⼊れ、
その⼟地に刻まれた歴史や物語は、
あまりにあっけなく壊され、捨てられ、
忘れられていきます。
新品の消費と⽣産ばかりが称賛される社会。
それは、どこか「考えないこと」を
奨励する空気に似ています。
なぜそれが必要なのか、
なぜそれに⼼が動くのかを問わないまま、
ただ⼿を伸ばしてはまた捨てる。
そんな循環が当たり前になっていく。
fumika は、欲を張らず、
適量で満⾜するという価値観を⼤切にしています。
⼈がつくるものには、いつも⼼が宿っている。
誰かが⼿間をかけて⽣んだものを、
「ありがたい」と思える感性を失いたくない。
そして、ただ便利なだけの選択ではなく、
「⾃分の買いものが、誰かを幸せにする」
そんな実感を持てる営みを⼤切にしたい。
たとえ考えることはつらくても、
考えることをやめてしまえば、
私たちは⾃分が何を望むのかさえ
⾒失ってしまいます。
だからこそ、
静かに問いかける時間を持ちたいのです。
「なぜ、それを纏うのか。」
その問いが、
またひとつ、
世界に属する⼿がかりになると信じています。
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