考えること、纏うこと、存在すること。
〈写真・熊本、阿蘇にて〉
いま私たちは、
たくさんのものに囲まれて⽣きています。
便利で速く、刺激にあふれ、
迷う間もなく次がやってくる。
けれどその⼀⽅で、ふと⽴ち⽌まると、
⾃分がこの世界に
「本当に属している」と⾔えるだろうか
そんな疑問が静かに浮かんできます。
忙しさのなかで、
私たちはゆっくり何かを味わう時間を失い、
なぜそれを好きなのか、
なぜ悲しいのか、
なぜ感動したのかすら
⾔葉にすることなく
通り過ぎていく⽇々を過ごしています。
〈写真・熊本、阿蘇にて〉
「考えること」は
重たくて、つらい。
けれど考えることを⼿放すと、
私たちは、
⾃分の感情すらわからなくなってしまう。
怒ったり笑ったりはできても、
“なぜそう感じたか”を⾔葉にできないまま、
ただの反応として⽇々を流れていく。
⾃分の存在が社会に
必要とされているという実感がないとき、
⼈はどこか世界から切り離されたように感じます。
⾃分が世界の中で「無⽤なもの」
になったかのような感覚。
まるで廃棄された布のように。
考えるということは、
「わたし」が世界の中でどこに⽴ち、
どのように⽣きたいのかを⾒つけることです。
それは単なる知的な作業ではなく、
「⾃分の輪郭を取り戻す」こと。
何を使って、どうつくるのか。
つくるものはどこへ⾏き、
どれだけ残るのか。
数年後、その選択がどう響いていくのか
そうした問いを持つことが、
私たちの⽣き⽅を静かに変えていきます。
fumika は、考えることを⼤切にしています。
ただ服をつくるのではなく、
「どうしてそれをまとうのか」を
静かに問う⾐服でありたいのです。
〈写真・ぼかしの紬のジャケット〉
忘れられた布に
もう⼀度、光をあてること。
誰かの⼿で⽣まれた技と美を、
もう⼀度、暮らしに取り戻すこと。
それは、世界に属するという感覚を、
⼀枚の服をとおして、
⾃分の⼿のひらに取り戻す⾏為です。
〈写真・打掛を解いた様子〉
速さではなく、ていねいさを。
消費ではなく、対話を。
反応ではなく、意味を。
〈写真・東京・汐留の小さなアトリエ〉
fumika は、「まとうこと」をとおして、
あなたが再び世界に
根をおろせる場所でありたいと願っています。
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